ここでは抗生物質と微生物のことについて述べています。
医学の歴史において、ペニシリンやストレプトマイシンなどの抗生物質は、人びとを結核など多くの病気から救ってきました。
そのため、抗生物質が私たちを病気から守り、多くの命を救ってきたことは揺らぎようのない事実ですが、近年は、多くの感染症から私たちを救ってきたはずの抗生物質が、腸内細菌叢やマイクロバイオータの攪乱(かくらん)を引き起こし、アレルギーや自己免疫疾患、炎症性腸疾患など多くの病や症状を出現させているという問題も生じてきています。
ちなみに、長崎大学熱帯医学研究所の教授である山本太郎氏の『抗生物質と人間』によれば、「抗生物質とは、微生物によって作られる、他の細胞の発育または機能を阻止する物質の総称」だとされています。
抗生物質とは、微生物によって作られる、他の細胞の発育または機能を阻止する物質の総称であると書いた。ここでいう他の細胞には、当然、病原細菌だけでなく、宿主細胞も含まれる。例えば、抗生物質が病原菌の発育や機能を阻止したとしても、同時に宿主細胞のそれをも阻止したとすれば、その抗生物質は実用的には使用できない。別の言い方をすれば、できる限り宿主細胞を傷害することなく病原菌だけに作用することができれば、人体にとって副作用が少なく、効果が大きな抗生物質となる。専門用語でこれを「選択毒性」という。医療の現場で使用される抗生物質は、その意味では、なんらかの方法で細胞に対する選択毒性を発揮することによって、機能を発揮する物質なのである。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p23)
また、山本氏は「抗生物質の過剰使用は、耐性菌を生み出すだけでなく、使用者を他の感染症や免疫性疾患に罹患させやすくなる」と述べています。
しかも、医療だけではなく、畜産業の現場においても、家畜の成長を急速に促すために抗生物質が大量に使われるようになりましたが、このことが、動物やヒトのからだにも肥満を引き起こすなど、少なからぬ影響を与えている、という指摘もなされるようになりました。
そのため、急増する肥満の問題を解決するには、家畜に使われている抗生物質の人体への影響も、重く受け止めなければならないように思います。
ところで、微生物学の教授であるマーティン・J・ブレイザー氏は、『失われてゆく、我々の内なる細菌』(山本太郎 訳 みすず書房)のなかで、抗生物質には、病気を治すだけではなく病気を引き起こすという、光と闇の側面があることについて詳しく言及しています。
また、抗生物質に関して、次第に問題が大きくなり、気候変動のように訪れるであろうマイクロバイオームの壊滅的な状況を、「抗生物質の冬」と呼んでいます。
私たちはこれまでのやり方を変えない限り、「抗生物質の冬」に直面するだろう。大きな悪夢である。私たちが隔離によって守られることはもはやない。私たち は今、ひとつの大きな村に、何十億人もの人と一緒に暮らしている。そのうちの無数の人々が、壊れた防御機構とともに暮らしている。疫病がやってくれば、それは速く、そして密に広がる可能性がある。川が氾濫し自然の堤防を越えても、避難場所もないような事態だ。こうした危機は、私たちの放蕩な抗生物質使用が増大させてきた。そのことはいずれ振り返ってみれば了解されるだろう。糖尿病や肥満といった問題も心配だが、私が警告を鳴らす最大の理由は、この抗生物質 の冬への恐怖なのである 。
(マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』 山本太郎 訳p220~221)
抗生物質の乱用の反省をも踏まえた「ポスト抗生物質時代」においては、「抗生物質の冬」の到来を避けるため、抗生物質の長所と短所を正しく認識し、どのようにして微生物と真の共生を実現していくかが、今まさに問われているのだといえます。
抗生物質に耐性がつくことや、関係のない細菌まで大量破壊してしまうことは深刻な問題だが、抗生物質のすべてが悪いわけではない。抗生物質はこれまで無数の命を救い、多くの苦しみを防いできた。そのことはけっして忘れてはならない。抗生物質のメリットとデメリットの両方を天秤にかけ、その時々の状況に合わせて使うか使わないかを決めるべきだ。私たちの内なる生態系と自身のために、不必要な抗生物質の使用を減らすのは医者と患者を含めた私たち全員の責任である。
(アランナ・コリン『あなたの体は9割が細菌』 矢野真千子 訳 p189)
抗生物質の過剰使用は、耐性菌を生み出すだけでなく、使用者を他の感染症や免疫性疾患に罹患させやすくなる。抗生物質耐性細菌の存在と合わせて、これを「抗生物質の冬」と呼ぶ専門家もいる。
(中略)
ポスト抗生物質時代における新たな関係を築き上げるために、私たちは、もう一度、抗生物質との関係を見直す必要がある。答えは、明らかである。抗生物質の使用を必要最小限にまで減らせばよい。すべての細菌に効く抗生物質ではなく、特定の細菌にだけ効く抗生物質を使用すればよい。しかし、そこへ至る道は容易ではない。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p138)