「腸」と「心」には深い関係があると思われます。
「心」というものがどこに存在しているのか、という謎は、哲学や科学の領域で古くからさかんに議論されてきました。しかし「心の正体」については、未だ多くは解明されてはいません。そのため、見えない「心」という存在の正体について、その答えを分かりやすい言葉で明快に語るというのは不可能ですし、「心とはこういうものだ」と誰にでも分かるように単純化するのも避けなければなりません。
現在は脳科学の知見によって「心」は「脳」に宿るという考え方が主流になりつつありますが、「心」を考えるうえで、腸と脳の関わりである「腸脳相関(脳腸相関)」「セカンド・ブレイン」といった言葉が注目を集めるようになりました。
そこで、ここでは「脳」ではなく「腸」と「心」の関係について、少し探ってみたいと思います。
たとえば「腸」と「心」の関係について、サイエンスライターの長沼敬憲氏は『腸脳力』のなかで、以下のように述べています。
生物の系統発生から言うと、心臓と肺は魚の呼吸器官である「鰓」に起源を持っているといいます。そして、この鰓は腸から分化したものです。
進化の系統樹をたどっていくと、私たち人間の直接の祖先にあたる初期の脊椎動物は、口から肛門へと続く一本の消化管、つまり腸だけで成り立っていたことがわかります。この段階ではまだ脳はありません。
腸から心臓や肺のような内臓臓器が生まれ、腸壁の神経と体壁の神経が束ねられるようにして脳が生まれたと考えられています。
心臓に心があるというなら、当然、その根源である腸にも心がある、すなわち「腸が心の起源である」ということになってきます。(長沼敬憲『腸脳力』p129)
また「心」と「腸」の関係について、優れた見解を示しているのは、解剖学者の三木成夫氏と、三木氏の考え方を受け継いでいる医学博士の西原克成氏です。
特に西原克成氏は、『内臓が生み出す心』のなかで、進化の過程という観点から、心のありかや、「心と腸」、そして「免疫力」「生命力」の関係ついて詳細に述べています。
そこで『内臓が生み出す心』のなかから、特に興味深い記述を以下に挙げてみます。
心というのは動物の器官や組織・細胞の持つ働き(機能)のことです。多細胞動物の出発点は細胞一つからなる原生動物ですから、心の源は、細胞という生命の最小単位の構造体が持っている働きによって発生するエネルギーです。人類だけに発生する免疫病も、実は深く考えると器官や組織や細胞の働き(機能)が何らかのエネルギーを受けて障害されて起こる病気なのです。そんなわけでエネルギー代謝が変調して起こる免疫病発症の謎を究明しないことには、心の宿る器官の特定など出来るはずもありません。(『内臓が生み出す心』p10)
心は心臓に宿りますが、本当の心のありかは肺のほうです。心臓は鰓の腸管系で、肺が鰓腸の腸管上皮から出来ているためです。腸の上皮の神経と筋肉の一体となった腸の総体に心が宿ります。心臓は肺という筋肉を持たない腸管上皮の腸管系の筋肉の一部と考えることが出来ます。(同p35)
生命体とは「エネルギーの渦がめぐるとともに個体のパーツが発生・成長・リモデリングする仕組みのことで、これによりエイジングを克服する仕組みです。個体丸ごとのつくり替えが遺伝現象であり、通常は生殖を介する」のです。エネルギーの渦がめぐるというのは、高等な脊椎動物では、細胞呼吸と解糖のことで、ともに腸から吸収した栄養を好気的(酸素を使って)または嫌気的に(酸素なしで)分解して得られるエネルギーを生命活動に利用するのです。このエネルギーはもともと植物が太陽光線によって光合成でつくっていたものが、食物として腸から消化・吸収されることで得られるものです。(同p43)
生命のエネルギーの渦は自ずとリモデリングを求めます。このリモデリングのエネルギーと質量のある栄養の取り組みの仕組みが腸にあり、究極のリモデリングの仕組みが生殖です。生殖もまた腸管・腹でするのが哺乳動物です。(同p47)
生命は腸から生まれますから、常に腸管の内腔のありようによってからだの状態が決まります。腸の要求に従って身体の筋肉を使って移動するのが動物の特徴です。どうやらこの腸の筋肉の動きのありよう、つまり腸の望みが心や魂ということらしいのです。(同p51)
生命エネルギーとは、蛋白質と核酸と糖・脂質から成る有機体としての生命機械の細胞が動いて働いているときに発生する温熱・電流・電磁波・光です。このエネルギーにより多細胞動物は、体表と腸管上皮から常時体内に入ってくる栄養分、酸素、毒物、微生物、寄生虫等の有害・無害・有益物質を白血球が消化、無毒化、同化、異化し、エネルギー代謝を回し、リモデリングに役立てます。この力が免疫力です。消化できないときには感染したり毒物にやられてしまいます。これが感染性の免疫病です。(同p59)
心が生命エネルギーとすると、多細胞動物のどこに心が宿るのか、そして心は単細胞動物にも宿るのか疑問がわいてきます。心は当然、単細胞動物の核酸と蛋白質・糖類・脂質・塩類・リン酸からなる生命機械の生命活動すなわち機能の中に宿っています。そして多細胞動物では、生命の最も旧い腸管内臓系器官の機能、つまり広い意味の腸管の蠕動運動と消化吸収機能と原始の単細胞原生動物の姿を十億年以上保っている白血球に宿っているのです。これに対して、高度に機能分化した神経細胞や皮膚・骨・軟骨細胞は心の機能がほとんど失われてしまいます。(同p60)
西原克成氏が述べていることは高度な内容のため、正確に理解するのは難しいかもしれませんが、つまり腸とは、生命の根源である共に、原初の感情を司った器官であったのです。
特に日本語では、「腹が立つ」「腹が煮える」「腹を据える」「腹を見透かす」「腹を探る」など、感情表現や心のうちを腹に関係させていますが、このような表現が多い理由は、日本人は昔から腸をはじめとした内臓系に「心」が宿っていることをよく知っていたからだと考えられます。
見えない存在である「心」の正体とは一体どのようなものなのであるかという疑問は、常に尽きないわけですが、「脳」だけではなく、腸という器官と「心」は実はかなり密接な関係があるように思われます。
参考文献
三木成夫 『内臓とこころ』 河出書房新社
三木成夫 『生命とリズム』 河出書房新社
西原克成 『内臓が生みだす心』 NHK出版
西原克成 『免疫力を高める生活』 サンマーク出版
長沼敬憲 『腸脳力 心と身体を変える底力は腸にある』 BAB JAPAN
福土審 『内臓感覚 脳と腸の不思議な関係』 NHK出版