「寄生虫博士」である藤田紘一郎氏の『腸内細菌が家出する日 健康も人生も思いどおりにいかないのはナゼ?』には、これまで藤田紘一郎氏が、『脳はバカ、腸はかしこい』をはじめとした様々な著作のなかで伝えようとしてきたメッセージが凝縮されています。
自分、自己、自我、アイデンティティ、パーソナリティ。これらは心身医療や心理学でよく使われている言葉ですが、「本当の自分」というものは、実際何をもって証明できるのでしょうか。
といっても、私は禅問答や哲学論を投げかけているわけではありません。きっとこの答えを求めようとすれば、論じる人の数だけ答えがあるくらい、果てしない解となることでしょう。
しかし逆に、「本当の自分というものはないのだ」という仏教の教えのような解は、生物科学から証明できるようになってきたのではないか、と私は思っています。
というのも、私が長く研究してきた「寄生虫」と「腸内細菌」のふるまいや、それらが私たちに及ぼす影響を観察することで、そのことを強く実感するようになってきたのです。
結論を言ってしまえば、「生きとし生けるものはすべて、別の生き物から多大な影響を受け、自己がつくられている」ということになります。
(藤田紘一郎『腸内細菌が家出する日』p1~2)
本書『腸内細菌が家出する日』の「はじめに―今、地球と人類に何が起こっている?」ではこのように書かれていますが、「私」という存在について考える時、私たちの体内において共生して いる「腸内細菌」や「寄生虫」といった生物は、少なからず、「私」という存在の形成に少なからぬ影響を与えているのではないでしょうか?
ちなみに『腸内細菌が家出する日』の前半部では、トキソプラズマをはじめとして、サナダムシやフクロムシ、レウコクロリディウム、エメラルドゴキブリバチといった寄生生物が宿主である生物の行動をコントロールしているという内容が語られています。
ところで、本書の「はじめに」では「生きとし生けるものはすべて、別の生き物から多大な影響を受け、自己がつくられている」と藤田紘一郎氏は述べていました。
ヒトにおいてそのことと最も深く関係しているのは、やはり私たちの腸内に生息している腸内細菌であるように思います。
藤田氏は「私たちの腸には「もう一人の私」が棲んでいます。3万種類、1000兆個もある腸内細菌です。重さでいえば、およそ2キログラムにも及びます。その腸内細菌は、腸粘膜細胞と協同して、私たちが生きるための基本的な仕事をやってくれています」と述べています。
しかし、その腸内細菌の数が減少しているなど、近頃、私たちの腸内環境に異変が起きていると藤田紘一郎氏は指摘しています。
その理由はいつの間にか人間が世界の中心になり、腸内細菌や寄生虫とヒトとの共生関係を大切に思わなくなってきたからだといいます。
私たちのまわりに存在する細菌や虫の中で、有害なのは一部だけです。大腸菌でも、病原性のある一部を除いてほとんど無害なのです。それなのに抗生物質や殺虫剤を乱用し、とにかくありとあらゆる細菌や虫を排除しようとしています。
このように、自分にとって好ましく思う生物種だけを生かし、そうでないものは有無を言わさず殺す、という行動を人間がとるようになってしまいました。
たとえば、回虫などの寄生虫は人類にとっては欠かせないパートナーのようなものでしたが、キモチワルイという理由から徹底的に排除されてしまいました。すでに多くの人が知っているとおり、回虫をお腹に飼っていた時代に比べると、花粉症やアトピー性皮膚炎に悩む人が現代では爆発的に増えています。(藤田紘一郎『腸内細菌が家出する日』p92~93)
また、藤田紘一郎氏によれば、「うつ病や自己免疫疾患、クローン病など、治りにくいやっかいな病気が増えているのは、それらが私たちの身近に存在する細菌を追い出していることで出てきた病気だからだとも考えられている」といいます。
さらに、「私は、日本人の近年のアレルギー性疾患増加の原因は、腸内細菌の減少にもあると考えています。日本人の腸内細菌の数は、戦前の半分以下に減少しています。腸内フローラのバランスも崩れてきていて、日本人の腸年齢はどんどん老化する一方です」と述べています。
それに加えて、本書の中では「本来は腸管内から出るはずのない腸内細菌が、血中に漏れ出ている」という衝撃的な事実についても紹介されています。
また、アレルギー性疾患増加に加えて、クローン病、セリアック病などの難病に悩まされている方が増加の一途をたどるようになったのは、腸内フローラの乱れによって、腸管のバリア機能が低下したことと深い関係があると言います。
腸粘膜バリア機能の破綻は免疫系の制御異常を引き起こして、炎症性腸疾患、食物アレルギー、経粘膜感染症など、さまざまな疾患の発症の原因となります。 近年、患者数が増加し続けている潰瘍性大腸炎やクロ―ン病などの炎症性腸疾患も、腸管のバリア機能が原因の一つとして考えられています。
また最近では、「リーキーガット症候群(腸管壁浸漏症候群)」も問題になることが多くなってきました。
(藤田紘一郎『腸内細菌が家出する日』p163~164)
このように、腸管のバリア機能が低下してしまうことは、アレルギー、潰瘍性大腸炎やクローン病などの炎症性腸疾患の発症や、リーキーガット症候群とも関わってくると藤田紘一郎氏は述べています。
一方、食物繊維やオリゴ糖をたくさん摂ることで、腸内細菌がもたらしてくれる「短鎖脂肪酸」の万能薬のような働きについても述べられています。この短鎖脂肪酸には抗炎症作用があるほか、免疫細胞の調整係である「Tレグ」を増やす働きがあるため、アレルギー症状の改善にも効果的だと藤田氏はしています。
フィリピンやオーストラリアの美しいサンゴ礁が、共生している褐虫藻が家出することで白化してしまったり、アメリカの養蜂家が飼っているミツバチたちが突然いなくなってしまったりする、という事態が本書の中では紹介されています。
それと同じように、「もう一人の私」である腸内細菌たちも、この世界は人間だけが中心だと勘違いしていれば、いつか家出してしまうかもしれないというのです。
しかし、そのような事態に陥らないようにするために、藤田紘一郎氏が「おわりに―「ここにある」のは「ともにある」こと」において発しているメッセージは、心に響くものがあります。
私たちの生命に深く関わっている「もう一人の私」が家出をしてしまう。そんなことはあり得ないのでしょうか?
日本が世界に誇る長寿の国になったのは、栄養や衛生環境がよくなったからということにはもちろん異を唱えません。しかし今、その思想はどんどんエスカレートしています。
清潔であることは、感染症などの病気を防ぐためにはもちろん必要なことです。
しかしそれが今では、あらゆる細菌や寄生虫を殺すこと自体が目的となってしまいます。それに加え、私たちが毎日口にしているものも、経済効率と利便性ばかりに偏ってつくられているものが増えています。
そんな現代の世の中は、共生のバランスを欠いています。
家出は、ある日突然やってきます。
家出をされてから、これまでの行いを反省し、謝って戻ってもらおうとしても、もう遅いのです。また、彼らが今の住み処にとどまりたいと思っていたとしても、その住み処が崩壊してしまえば、出て行かざるを得ないのです。
取り返しのつかないそのような事態にならないために私たちがすべきことは、彼らとの共生を今一度考え直すことなのだと思います。
私とは私だけで私なのではない――この真理を思い起こしていただければ、これまで「他者」と思っていたものへのまなざしも変わることでしょう。目先のことにまどわされず、ありのままの姿を見つめることができれば、すべてのものの本質に差はないことに気づきます。
(藤田紘一郎『腸内細菌が家出する日』p181~182)
第1章 私を操っているのは誰?(「クサイ、キタナイ、キツイ、キモチワルイ」4Kの青春/「まとも」な道を踏み外したワケ ほか)/第2章 宿主をコン トロールする寄生生物(アリの脳を支配する槍型吸虫/サナダムシになくて槍型吸虫にあるもの ほか)/第3章 腸内細菌は「もう一人の私」だった(腸内細 菌の素顔がみえてきた/運命、健康、行動も腸内細菌が握っている!? ほか)/第4章 あらゆる病気も腸内細菌しだい(あなたの腸内細菌を決定するものは 何か/選ばれし4種類の腸内細菌たち ほか)/第5章 腸内細菌が家出する日(海のお花畑が消えていく…/グレート・バリア・リーフに迫る危機 ほか)